3歳のノンと、日々是好日。


by suara-erhu

カテゴリ:思うこと( 22 )

こころざし

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本棚を整理していたら、昔書いた文章が入ってるファイルが出てきた。
その中に、高校卒業間近に書いた学園の刊行物が。
懐かし~。
どんなものかというと、、。

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猪苗代に旅行した時、野口英世の実家で「志を得ざれば、再びこの地を踏まず」と彫り付けられた柱を見たことがある。
野口が上京直前に彫ったもので、この言葉に込められた生まれ育った環境からの脱出への悲願は、若松へ、東京へ、さらにアメリカへ彼を駆り立てたのだ。

出だしはこんな感じ。

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自分も志を持って卒業して行くのだろうかと、この言葉に出会った時そう思った。
結果だけでなく努力や一生懸命さを大切にする温かい学園と違って、世間は厳しい。挫折することも絶望することもあるだろう。でも、結果重視の厳しい社会だからこそ、学園で学んだ途中経過を大切にしたい。それが私の志でもある。そして今、温かい故郷の門を出て行く。「志を得ざれば、再びこの地を踏まず」この言葉を胸に刻んで。

と結ばれている。

実家から大学に通ってたくせに、何を大げさな。
句点が多くて文をやたらと刻んでいるのも、いかにも青二才というかんじ。

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暇そうに見えたのでしょう。「卒業生代表で文を書いてくるよーに」と担任の先生から原稿用紙を渡されたことも、中学の時に野口英世の言葉に出会ったのも、よーく覚えています。
そして、祖父の名前が英世(読み方はエイセイ)ということから、野口英世に親しみを抱いていたのも覚えています。
だけど、どうしてこの言葉を元に文を書いたのか。
18歳の自分に聞いてみたい。

そしてアラフォーの、今の自分に聞いてみたい。

今と何が違うのだ?
何がどう成長したのだ?
その「志」はどうなったのだ?

そう思って他のページをめくってみると、校長先生の寄稿がありました。

「女性はまず自分自身のうちに平和を育てなければならない。
真の平和を学ぶ温床は家庭。家庭を生み出すのは母親。」

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卒業から18年。
あっちへフラフラ、こっちへフラフラ。志を果たしたとはとても思えない。
そんな私が、家庭を持って子供のために生きることが許されている。
そのことに改めて感謝。
自分の小さな力を合わせて温かい家を作っていきたい。
自分だけの志を考えていた高校時代とは違う。
自分以外の誰かのための志を持てることは、この上なく幸せです。


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by suara-erhu | 2013-02-27 03:27 | 思うこと

砂漠

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「アメリカ駐在になった」と言うと、「ジャカルタじゃなくて良かったねー」とよく言われました。
ジャカルタには来ようともしなかった人が「絶対遊びに行くからね!」と前のめりになったり。
アメリカに来てからも、「以前ジャカルタにいた」と告げると、「ヒドイ所なんでしょうね」というリアクションに度々出会う。
私にとってジャカルタは第二の故郷なのに、「好きなわけないよね?」という前提で話してくる人が沢山いて、その度にとても悲しくなります。
自分と一緒にジャカルタが傷つけられる気がする。

遊びに来てるんじゃない。
場所がどこであろうと、その土地で一生懸命暮らしてる。
そう思っていたけれど。

アルジェリアのテロ。
衝撃を受けました。

砂漠の真ん中に立つプラント。
日本人居住区からバスに揺られ、毎日現場へ通って働いていらした方々。
発展途上国の人々のために過酷な気候、不便な生活を送りながらお仕事をされていた。
それなのに、殺されてしまった。
日本が誇る最高技術者の方々。
無念で無念で無念で無念で仕方がない。

ジャカルタにしてもアメリカにしても、日本と全く変わらない生活が出来る状況で、「自分は異文化の中で暮らしているのだ」と、なんてエラソーに言ってたんだろう。
私がしてることなんて、旅行に毛が生えたくらいのことでしかないのに。
ものすごーく自己嫌悪に陥っていました。

アメリカでこんな所に行きました、こんなもの食べました、こんなことがありましたetc
日々のことを綴りたい気持ちがしぼんでしまい、パソコンを開けることすら出来ませんでした。

でも、ある方の言葉を思い出しました。
ジャカルタで大変お世話になったご夫婦。
最初の駐在地が、アルジェリアでした。

「鶏肉は毛をむしってから料理していた」と奥さま。
「パックで鶏肉が売っているジャカルタは本当に便利。有り難いのよ。」

白いトレーにお肉が乗って、スーパーにずらりと並んでいる。
当たり前とすら感じないくらい、当然なこと。
その当然なことだらけの日々に埋もれないように、「有り難いこと」を一つ一つかみ締めたいと強く思いました。砂漠から光る石を見つけるように。

あの砂漠の景色を決して忘れないように。
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by suara-erhu | 2013-01-30 07:17 | 思うこと

キング牧師の日

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マーティン・ルーサー・キング牧師の記念日で3連休でした。
今日は朝からずっとオバマ大統領の就任式典。

アフリカ系アメリカ人初の大統領の再任式典がキング牧師の日に行われることで、メッセージ性が格段に上がるのだと感じました。
スピーチとスピーチの間に歌や詩の朗読があり、最後にビヨンセがアメリカ国歌を斉唱。
鼓笛隊が「星条旗よ永遠に」を演奏する中、大統領が退場。割れんばかりの拍手。
アメリカらしい、華やかなエンターテイメントでした。


外国に住んでいると、それまで縁もゆかりもなかった人物の記念日を休日として過ごすことになる。
こういうことがあったのか、こういう人がいたのかと、その国の歴史に触れられます。

ジャカルタで一番印象に残っているのは、8月17日の独立記念日でした。
日本の終戦記念日の直後は、東南アジア諸国が次々と独立記念日を迎えるのです。
厳粛な気持ちで過ごす8月15日の前後は、独立記念日のお祝いムードに毎年違和感を覚え、
祖父が戦争中赴いたインドネシアの地で、色んなことを考えていた記憶があります。

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キング牧師記念日の今日は、27度。
この連休から急に暖かくなりました。
一日の寒暖差は30度近い!
インフルエンザも大流行中だし、preでもまた風邪菌が流行りそうだなぁ。ノンも鼻水垂らしてるし、心配だー。
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by suara-erhu | 2013-01-22 08:35 | 思うこと

3人家族

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新年明けましておめでとうございます。

2012年は環境が大きく変わり、それに伴って家族にも様々な変化がもたらされました。
実家近くに住んでいたこと、夫が出張や短期留学等で不在がちだったことから、ノンが生まれてから私は実家に入り浸りでした。
出張の度、ノンと実家に泊まりこみ。
風邪を引いて実家に入院することもあった。

夜泣き&後追い&人見知りが一気に始まって昼夜休めなかった時、イヤイヤ期が始まった時。
節目節目の大変な時、居て欲しい時には、いつも夫は居なかった。
居ない人を当てにしてストレス溜めるより、実家を頼った方がずっと精神的にも身体的にも楽。
その結果、いつまでたっても実家におんぶに抱っこの状態が続いてた。

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2012年3月から半年間、夫だけアメリカ、私とノンは日本。離れて暮らしていました。
でも、夫が居ないことに慣れていたので、正直何も変わりは無かった(夫は大変だったと思うけど)。
私の中では「実家に寄生してる私とノン+パパ」、という図式が出来上がってました。
情けないことに。

なので、実家の助けがなくアメリカで子育てする!?いつも居ないあのパパと!?
という不安があり、母がアメリカから帰った時は「私も帰る」と泣く始末。
あーまったく情けない。。

毎朝夫が「さー。今日も皆頑張っていこうね!」と掛け声を掛け、それをノンがマネする所から始まった3人のアメリカ生活。
パパ、私、ノンで、「はじめの一歩」を今更ながらに踏み出した2012年。
3人がそれぞれに、慣れない環境の中でもがいてつまずきながら、駆け抜けて来た。

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子供が体調崩したら、看病したり相談し合ったり。
小児科へ行くにも、遠いので夫が運転する。3人で病院へ行く。
休日も、いつも3人一緒。
日本では「友達と会って来るね」など、別行動も多かったけど、こちらは水などあらゆるもののサイズが巨大なので、買い物も男の仕事という感じ。3人揃ってコストコへ行って水を買う。
日本では夫が家で夕飯取るのは多くて週に3回ほど。
こちらでは毎日家で食べる。車通勤なのでお酒も飲んで来ないし。

ベクトルが自然と家に向けられるアメリカ暮らし。
ようやく、やっと、ついに、私たちは3人家族になれたような気がしています。

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喧嘩もいっぱいしたし、これからもすると思うけど。
でも、駐在生活は家族が一艘の船に乗って見知らぬ海に浮いているようなもの。
2013年もアーダコーダ言いながら、元気で仲良く航海して行きたいと思います。

ちなみに今日の写真は9月に近くの湖で撮ったもの。
ずっとUPしそこなってました。
アメリカに来て間もない頃のノン。
出発前に初めて美容院で髪を綺麗に切ってもらったのでした。
たった3ヶ月前。なのに何だかちっちゃく見える。
随分大きくなりました。友達とも遊べるようになったし。
ノンも小さな心臓で、環境の変化と懸命に闘って来た。

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今年はどんな年になるかな。
ワクワクとドキドキと。
渡米時の不安は、もうありません。

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皆さまにとって、happyな一年になりますように。
今年もblogをどうぞよろしくお願いします。
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by suara-erhu | 2013-01-01 09:36 | 思うこと

気丈なスピーチ

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コネチカットでの銃乱射事件後、模倣犯が後を絶ちません。
先日UPしたFashion ISLANDでも、怪我人はなかったものの、42歳の男が駐車場で銃を50発打つ事件が起きました。
私が住むIRVINEはFBIが選ぶ全米1安全な街。
FASHION ISLANDのあるNEWPORT BEACHは隣町。鍵をかけずに外出できるほど、やはり安全な所です。
でも「やっぱり銃社会のアメリカに住んでいるんだな」と緊張する一週間でした。

乱射事件で驚いたのは、事件の凄惨さともう一つ。
殺された子供たちの両親が、事件直後からテレビでスピーチしていること。

自分がどんなに子供を愛していたか、どんなに素晴らしい子供だったか、そして犯人や事件、社会へのメッセージを涙ながらに語る姿が連日テレビに映し出されています。

日本人の感覚だと「そっとしておいてあげればいいのに・・」と思ってしまいますが、皆さん実に気丈な態度で立派にスピーチされている。

子供の習い事便覧を見ていると、「スピーチ教室」「エッセイ教室」「ジャーナル教室」という項目があります。
自分の意見をまとめ、人前で表現し賛同を得る、説得する技術を幼い頃からトレーニングしていることが分かります。

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「気丈にスピーチ」というと、横田めぐみさんのご両親を思い浮かべます。
いつも温和な表情のお父様、語り口は静かだけれど前をしっかり見据えて強い眼差しのお母様。
全国各地を飛び回って、訴えかけていらっしゃるお二人。

「もう高齢だから、いつまで続けられるか分からない」と、以前テレビのインタビューでおっしゃっていた。
講演会の前に点滴を打つお母様の映像を見たことがあります。

この間のミサイル発射のようなことがあると、拉致問題どうなってしまうのか、また足踏み状態になってしまうのかと心配で仕方ありません。
「もう時間がない」とおっしゃるお二人が、もう気丈にスピーチしなくても良いような日々が早く訪れて欲しいと願っています。
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by suara-erhu | 2012-12-23 08:58 | 思うこと

3ヶ月

お醤油、みりん、お酒etc調味料が一気になくなって、そういえばアメリカに来て3ヶ月過ぎたことに気づきました。
時差ぼけが治った頃には、既にここの生活に馴染んでいた感じ。
日本での暮らしが短かった分、まるでジャカルタに舞い戻って来たような錯覚があったのは、
同じ温暖な気候とヤシの木のせいかも!?

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そして不便なことを不便と思わないというか、「しょうがない」と諦観することにかけては慣れているつもり。

インドネシア語で「しょうがない」を「apa boleh buat」といいます。
ここアメリカでも、よく登場する。
トイレ用洗剤のフタが開かなくて、無理やり開けた瞬間ドバっと飛び散ってもapa boleh buat。
ここで「日本のトイレルックは開け閉めしても手が汚れないし、液ダレもしないし、トイレのフチに沿ってうまーく注ぐことが出来たのに!なんなのよ!」
とイライラしても、しょうがない。あんな優れモノ、日本にしかないんだもん。おおざっぱなアメリカにあるわけがない。

お風呂の蛇口のコックが堅くて、水を出すたびに手にアザできそうでもapa boleh buat。
今まで二回も取れちゃった。ビヨーンとホース状に伸びるシャワーはバスタブについていないので、
それを使いたいときはいったんバスタブから出て、シャワーブースに移動しないといけない。

でも寒いので、真上からダーっとお湯の出るシャワーを使おうとするんだけど、お湯が出るまでに時間が掛かる。バスタブ内のお湯が水になっちゃう。
仕方なく、バスタブにお湯を張るための蛇口の下に体をかがめて頭を洗うことになる。

子供洗ったりしてバタバタしてるのでまったく体が温まらないけれども
「追い炊きの出来る日本のお風呂で足を伸ばしてゆっくり入りたい!!」と怒ってみても仕方がない。

オーナーが契約してるメキシコ人の庭師ルイスが2週間に1度来るはずなのに、テキトーにしかやって来ない。でも仕方ない。怒って来るようだったら、最初から来るはずだもん。

時間通りにキチンと約束を守る日本人、1分遅れただけで「お急ぎのところ、大変申し訳ございません」と何度も車掌さんがアナウンスする日本の電車ってスバラシ過ぎるけど、そうじゃない国の方がフツーらしい。

諦観こそストレス回避に必要なんだと思って、今までゆるゆると暮らして来ました。


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しかし!
それはやっぱり元気な時の話。
こうして子供が病気になってみると、こないだも書いたけど見方が180度変わる。

シロップ薬の瓶のフタが開かない。
滑らんマット、ペンチ、栓抜き、あらゆるツールを使っても開かない。
「うぬぬぬぬっ」と顔真っ赤にして引っ張ってもウンともスンとも言わない。

こんな時、私は思い出すのです。
納豆のタレや醤油の袋を。
そこにはこう書いてある。「どこからでも開けられます」。

ニッポンチャチャチャ!
これぞニッポンスピリッツ!
どんな小さなものでも、消費者の使いやすさを追及する大和魂。

こないだ同窓会で出たお弁当についてた醤油の袋。友達が開けるのに失敗し、醤油が一滴も出なくて
「悪いけど、恵んでくれる?」と言っていた。
こちらの醤油の袋は「どこからも開けられます」ではないのです。

しっかしあんなに堅い瓶のフタ、病人に開けられると思っとんのか?
と、apa boleh buatなどと悠長に構えてはいられず、あれもこれも不便不便不便!とたちまち「反米」の旗を振り始めちゃう。

だけど、ふと周りを見渡すと、友達がずいぶん移動してるみたい。
先週、ジャカルタでお世話になっていた先輩が2度目の駐在地台湾へ出発。
NYに長年住んでいた友達とアメリカで再会出来る!と喜んでいたのに、旦那さんの仕事で違う国へ移っていきました。
来月から中国に行く子もいる。そしてジャカルタで仲良くしていた子が、来週岡山から東京へ。

みんな、動くなぁ。
南へ北へ。東へ西へ。
皆各地で不便さ異文化と格闘してる。
ここ数日トーンダウンしていたけど、私も頑張らないとー。

それぞれの新生活が元気で楽しいものになりますように♪
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by suara-erhu | 2012-12-06 05:44 | 思うこと
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一番近くにある公園。このお城で王様ごっこするのがノンのブーム。

アメリカに来て、子連れで公園に行けばすぐに友達が出来ると思ってました。
しかし甘かった!

日本だと、数少ない公園に子供が集中するので、行けば必ず子供がワンサカ。
お子さんおいくつですか?お近くですか?よくいらっしゃるんですか?
こんな一言で距離がキュッと縮まり、一緒に砂遊び。
バイバイしても、その後商店街でバッタリ再会できちゃう。
「こないだはどうも~」
これでママ友の輪は広がっていき、ノンが生まれてから2歳まで楽しい地元のママ友ライフを送らせてもらってました。

商店街、スーパー、ドラッグストア、図書館、小児科。
行けば必ず誰かに会える。
だからきっとアメリカでも友達すぐ出来るさ、と思っていたー。

このお城の公園に午前、夕方と一日二回通っても、中々日本人に会えない日々が続いてました。
居るのは犬ばかり。
それとブランコでエンドレスな恋バナしている高校生。

子供はいずこに!?

日本では子供が近寄って来ただけで泣いていたノン。
こちらに来て、「ともだちと遊びたい」と呟いたことがあります。
ノンにもそういう時が訪れたのね!

そりゃタイヘン~、と二人で友達探しに近くの公園2箇所に行きました。
外国人のちっちゃい子はたまに見かけたのですが、中々うまくコミュニケーションが取れず。

インド人のヨチヨチ歩きの子に「はろー。いっしょに遊ぼう」と声を掛けたのに、どこかへ行ってしまい
「あらー行っちゃったねぇ。あの子どうしたのかしらー」とノンが寂しそうに見送っていた。

母から「おともだちにハローって言ってみてごらん」と言われ、家で何度も練習していた「ハロー」。
必死の思いで話しかけたノンの声。耳朶に残ってマス。
あんなに人見知りで子供と遊べなかったのに、よほど友達が欲しかったのでしょう。

なので私は焦ってました。
そして私自身も友達が欲しかった!

「公園で網を張っていても埒があかないんじゃないの?」と母に言われても、それでも連絡先を書いた紙を握り締め、公園に通い続けました。

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今日も誰とも会えなかったなぁ。
肩を落としてトボトボ二人で帰る孤独な1ヶ月が過ぎました。
この辺りは日本人がとても多いエリアと聞いていたのに、一体どこにいるんだろう?


ちょうど母が帰る前後は、心細さ、慣れない運転の疲れ、夫の頭痛騒ぎ、ノンのイヤイヤでストレス満タン。
ちょっとしたことでノンや母に八つ当たりして、日本に私も帰りたいと泣いてばかり。

時々見かける日本人ママを「この人と友達になれるかな?」という狩人の姿勢で居ることにも疲弊してました。
日本に帰れば気心の知れた友達が居てくれる。どうして知らない外国で又ゼロから人間関係作っていかないといけないの!?しかも日本人なんていないし!

ノンも可哀想だし、なんだか申し訳なくて。。

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もうこうなったら、ノンと二人で遊ぼう!
考えてみたら二人でちゃんと遊んでなかったのかも。

二人で王様ごっこをするようになりました。
ノンが高い塔に登り、所信表明(?)する設定。
注:「エリザベート」のハンガリーの場面のイメージ。
私が塔の反対側に回って、市民の役。「王様~」と手を振ると、ノンも手を振る。

そんなことをしていたら、、、

つい数日前、現れたのです。
お城に白馬の王子が!

すごーくいい感じの、1歳の男の子ママ。
しかも私と渡米時期が2週間違い。
家が近いので、お城の公園で連日会えるように。

お子さんおいくつですか?お近くですか?
そうそう。懐かしい。この会話!これがしたかった!

そこに「こちらに住まれて長いんですか?」が加わって。
来たばっかり、が分かると、「運転怖いですよねぇ」「キュウリもナスも太いですよねぇ」etc共感ポイントが次々見つかる。

白馬の王子に出会ってから、日本人で同じ時期に渡米した、1,2歳児ママに少しずつ出会えるようになった。
涼しくなったからかな?まるで冬眠後のように、子供がゾロゾロお城にやって来た。

ノンのお城ごっこも、王様の他に王女様や他にも沢山登場人物が増えて、楽しくなると思うヨ。良かったね!

砂遊びセットを「どうぞ」と白馬の王子に貸してあげたり、シーソーしたり滑り台したり。すっごく楽しそう。
私も嬉しい。
子育ての悩み、夫の愚痴、日々のことをお喋りできるのってこんなに楽しかったっけ!

「ちっとも知り合いが出来ないのー」という悲鳴に、激励メール、優しいエールを送ってくれた日本の皆さんのお陰です。
どうもありがとう!
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by suara-erhu | 2012-10-14 16:24 | 思うこと

バラ咲けど。

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この家に入って少し経った頃、庭のバラが咲きました。
白いバラ。
やがて赤いバラも開いた。

不マメでめんどくさがりなので、バラ作りはぜーったい出来ないタイプ。
家のオーナーが植えたバラのようです。

一昨日、庭の反対側にあるバラが蕾をたくさんつけているのを母が見つけた。
そして昨日、咲きました。
今度はピンク。

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今朝窓を開けると、バラの香が
ふわーっと部屋に入って来た。
昨日よりも、大きく花開いてる。

枯れかけた鉢植えにせっせと水をやり、掃き掃除し、夜はこの庭でキャンドルを灯してワインを飲みながら涼んだり、ノンの人形遊びに付き合ってくれたり。

ノンちゃんみたいな小さなバラね、と言っていた母。
今朝、庭でハチドリが何匹も集まっているのを見たそうです。
ハチドリもお別れしに飛んで来たのかも。
決して甘やかさないけれど、細やかな愛情をノンにも注いでくれました。
バラが咲くのを楽しみに待って一緒に過ごして来ましたが、それは同時に母の帰国が近づくということ。

その母は、今機上の人。
成田行きの飛行機に乗って空の旅。

そういえば、母を空港まで見送るなんて初めてだなぁ。
ジャカルタにいた時、しんどい時期があり、一時帰国からジャカルタに戻る日になるとお腹が痛くなったり体が拒否反応起こして、よく途中で引き返してました。
成田まで母に付き添ってもらってそれでも飛行機に乗れなかったり、成田のホテルに前泊したこともあった。
母なくしては、ジャカルタ生活を乗り越えられなかったし、いまだに頼ってばかりで情けない限りです。。
私もお母さんなのにー。

渡米した時よりも心細い。
私も帰りたいなぁぁ。

ノンのことを、ママっこだとか場所見知りだとか言ってたけど、それは私の方でした~。

夫が渡米してから半年間も同居していたのに、ヘンな感じ。
ぽかーんとしています。
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by suara-erhu | 2012-09-26 14:40 | 思うこと

はひふへほ

満月つながりで思い出したことが一つ。

中国の風景を頭にたくさんインプットすれば、二胡を弾く時に表現が違うかも?と思い、
テレビで中国庭園、絶景を紹介する番組があると、よく見てました。

その中で、肝心な名前も地域も忘れちゃったけど(蘇州だった気がする)、ある広大な庭園の池が印象に残ってます。

月をかたどった池。
でも満月は「満つれば欠ける」ことから、満月よりすこーし欠けた形の池なのです。

中国というと、キンキラキン、まっ赤っ赤、おめでたいモチーフのオンパレード!というイメージだから、
まん丸の満月の形で池を作りそうなものを、ずいぶん慎ましいんだなぁと思いました。

「満つれば欠ける」。
大成功して何も不足のないような芸能人や事業家が、奈落の底に落ちるような出来事を見ると、
この言葉を思い出します。

規模は全然違うけど、私も上手く行ってて有頂天になってる時に大失敗したりガツンと凹むことがあったりして、やっぱり「満つれば欠ける」んだと思い知らされる。

そういえば母が以前、ドラマのセリフで出てきたというこんな言葉を教えてくれた。

「女の人生は、はひふへほ でいい。
は 半分でいい。
ひ 人並みでいい。
ふ 普通でいい。
へ 平凡でいい。
ほ ほどほどでいい。」

いきなり最初に「半分でいい」っていうのがスゴイ!
何かと欲張って、今手の中にある幸せをないがしろにして、もっともっとと思いがちだけど、
そんな私に向かって母が「はひふへほ」とブツブツ唱えてます(バイキンマンみたい。はーひふーへほー)。

だけどここはアメリカ!
洗剤の量も、牛乳の量も、お菓子の大きさも、車の大きさも、
全てが巨大!
「半分って、何のこと???」て感じ。

この巨大なアメリカで、ノンと「はひふへほ」守って慎ましく暮したいものです。
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by suara-erhu | 2012-09-08 08:06 | 思うこと

一期一会

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渡航前検診の結果を聞きに行った時のこと。
胸部レントゲン写真を見ながら先生が一言。

「心臓が小さいですね」

「え””””-っ!?」


レントゲンなんて今まで何十枚も撮ったのに、初めて言われたよ・・。
低血圧なのはそのせいで、治療しなくてはならない訳じゃないらしいんですけど、驚きましたー。
ていうか、サイズなんて治しようもないのか。

だけど私は悟ったのです。

「そっか。気が小さいのはそのせいだったのか!」と。

ノミの心臓とはよく言ったもの。
気にしぃだったり、気弱だったり、心配症なのは心臓が小さいからなのかーーーと妙に納得。
・・ぜんぜん関係ないんでしょうけど。

そんなクヨクヨしがちな性格を知っている友達が、メールや手紙、電話、そして直接たくさんの
励ましの言葉をプレゼントしてくれました。

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ジャカルタ仲間は、出発前の不安感やプレッシャーが分かるゆえの気遣いをしてくれる。
その中の一人がくれたカードには、
「次に会う楽しみのために、ひととき離れるだけ」という言葉が書かれていました。

これは大河ドラマ「篤姫」のセリフ。
ジャカルタで皆で毎週楽しみに見ていた「篤姫」が、幼馴染かつ初恋の相手と交わす言葉です。

次々日本へ帰って行く友達を見送る私を、この言葉はジャカルタ生活後半戦に支えてくれました。

日本でまた会えるから、ほんの少し離れているだけ。
そう思って寂しさに耐えていた記憶があります。

今回も、大切な友達といったん離れるだけなんだ、と思い出させてくれた心丈夫になる言葉。

だけどジャカルタの時とはちょっと違う気持ちでもある。

今度は自分が日本から旅立って、友達は日本に残っている。
私が帰って来る頃は、国内外問わず他のエリアに行ってしまっているコも多いはず。
今すでに、転勤の話がある人も少なくないし。
様々な事情で、同じ国にいても中々会えないこともあるし。
次に会えるのが何年先か、もっとずっと会えないか、想像もできない。

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「メールやスカイプ、Face Bookがあるし、永久の別れってわけじゃないじゃないの」などと親には言われるけれど。
違うと思うなー。
100回メールで話したって、1回会うことにはかなわない。
ブランクがあっても一瞬で元に戻れるあの空気感、それはスカイプでは味わえない。
その人の顔を見れば、パーっと楽しくなるあの感覚。

「篤姫」には、こんなセリフもありました。

「もうその人に会えないのだと観念するからこそ、一回一回の出会いが大切」

一期一会ということを、最近しみじみ考えています。。
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by suara-erhu | 2012-08-26 19:09 | 思うこと