泣き面に蜂がいっぱい
2013年 04月 30日
今日はボヤキです。
16日に義母が帰りました。
タミフル効果で夫は完全復活。
私は・・10日ほどバッタリ倒れておりました。
看病疲れ、アテンド疲れ、そして興奮したノンの夜泣き疲れモロモロ。
体が悲鳴を上げてたみたい。
まずヒドイ風邪を引き、咳のし過ぎで左耳が中耳炎に。
中耳炎なんて子供の頃以来!耳が痛くて痛くて何も聞こえない。耳鳴りとも違う変な音がずーっとしてる。
フジコヘミングが風邪のせいで聴力を失ったことを思い出して心配になり、耳鼻科は市内になくて遠いので、仕方なく信頼出来ない日本人の内科に駆け込みました(誤診されたことがあるため)。
「鼓膜が真っ赤に炎症起こしています」とのこと。
聞こえないだけでイライラするし不安で気持ちが落ち込んでしまいました。
同時に首が動かなくなってしまった。
これは運転のせいらしい。
普段近くのスーパーや公園くらいしか行かないのに、義母が居る間は海だなんだと一日中運転していたし、
そのほとんどが自分で運転して行くのが初めての場所。
長距離運転はいつも夫任せなので。
今回ももちろんそのつもりだったのに、あんニャローが倒れたばっかりに。
初めて通るフリーウェイや、迷い込んでしまったフリーウェイで、首がガチガチに緊張していたのでしょう。
耳は左、首は右が痛い。バランスが崩れたようで、今度は左の顎関節が開かなくなって、物が噛めなくなってしまったのです。
オーマイゴッド!!
挙句の果てに、二階の窓ガラスをどこかのガキンチョに割られるという腹立たしい事件まで発生。
ガラス会社の人が測りに来たのですが、靴のままズカズカ上がって行くのです。
非常にへりくだった言い方で、靴を脱いで欲しい、と頼むと激怒された。
あんな人初めて。
皆脱いでくれるし、だいたいこんなアジア人の多いエリアなんだからカンネンすればいいのに。
揉めて揉めて、帰る時まで「靴を脱ぐなんてバカな習慣だ」とブツブツ言っていた。
母はまだアメリカに残ってくれてます。
せっかく義母が去って母だけになったのに、ずーっと家で寝てるしかなかった。
渡米時に母が付いて来てくれたときは、私の運転教官役と生活設定で終わってしまったので、
今回は綺麗な所に連れて行って、楽しく過ごして欲しかったのに。。
結局家事をさせてしまってるー。
不甲斐ないやら情けないやらで、完全に気分が凹む。
満身創痍で思考回路も健全さを失っているので、こうなったのはそもそも夫が倒れたからだ、そして義母が来たからだ、と矛先が二人に向かってました。
あちこち連れて行っても、「○○(夫の名前)は来れないの?」と義母に言われ、「こっちだって好きで一人でアテンドしてるんじゃないよー!お宅の息子がこんな時倒れるからでしょうが!」と言いたかった。
夫も、自分のせいですまなかった、でもどうもありがとう、という一言が出ない。
帰国した義母から「着きました」の電話もないし、夫のオフィス宛に手紙が届いた、というのも気に食わない。なぜ家でなく会社宛?荷物など今まで常に家宛だったのに。何が書かれているか詮索してしまう。
なんでそんな二人のために、私がこんなズタボロにならなくちゃいけなかったのだー。
でも思う。料理も頑張って、アテンドも頑張って、全て力を入れていたのは
義母を楽しませたい、という気持ちももちろんあったけど、それ以上に自分がちゃんとやっている、というのを示したかったのだなぁ。
それから、夫が倒れて私にどこにも連れて行ってもらえなかった、という記憶を残して欲しくなかった。
色々やってもらったのだ、という思い出とともにアメリカを旅立って欲しかった。
私はほとんど自己満足のためにバタバタ駆け回った結果、バタっと倒れたんだなぁ。
寝込んでる間、天井を見ながらそんなことを考えてました。
義理の間ってメンドクサイ。
そしてとにかく日本に帰りたい。
親と一緒に東京に、実家に帰りたい。
地元の耳鼻科で診て欲しいよーう。
でも、耳がトラブってるので飛行機はダメ、とお医者さん。
ガックリ。
次々起こる負の連鎖を、昨日到着した父が断ち切ってくれるのではないか!?と期待しています。
あとわずかな日々だけど、実家メンバーと楽しく過ごしたいものです。
by suara-erhu
| 2013-04-30 08:18
| 思うこと